本書は、日本の景観工学の第一人者である著者の広島市太田川の環境護岸に次ぐ、第二の代表作である古河総合公園(茨城県)をつくる魂を尽くした風景学実践の記録である。
ユネスコは、文化景観表彰制度として創設した「メルナ・メルクーリ国際賞」の表彰事業として2003年にこれを選んでいる。古河総合公園は、文化景観づくりを高い水準で実践したモデルとして評価されたのである。
縄文海進期に海は今の古河にまで達していた。地球の温度が下がるに従って海岸線は退き、海水面は湿地となり、水辺の陸地が乾いた高台となった。室町時代に都と対立した足利成氏が利根川と渡良瀬川が交わる辺りに突き出した台地に居館を構え、古河公方と呼ばれた。御所沼はその足許に広がる生態豊かな湿地であり、湿地の向こうに美しい山々の景観が広がっていた。
2つの川は頻繁に河道を変え、人と自然との厳しい闘いが続いた。徳川幕府は200年以上の時間をかけて水系の大規模整備を行い、その結果、湿地でもジュンサイ採りや湿田耕作が可能となって、北関東の原風景が生まれた。戦後、食糧生産拡大のため干拓されたが程なく減反政策によって放棄され、現代都市化の陰に惨めな姿となって地域の人の意識からも消えた。
日本人史の長さを持つ御所沼を巡る自然と人の関わりが、時に推理小説のような興味をそそる運びで、精確な学究的記述様式で、あるいは私小説のような親密な語り口で、リズムやテンポを変えて畳み込むように読者に告げられる。古事記や万葉集を読み解き、文学者と地名の謎解きをする。一方で、貧田でしかなかったという古老との会話の中から御所沼へのかすかな思いを引き出し、少年期を近くで過ごした著者と二人で共有できる豊かな絵に定着させていく。 |
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読者は、あらゆる角度から対象に迫らなければならないという著者の求める景観創造の世界に、いつしか囚われてしまう。あっけらかんとした現代の市街地景観のすぐ後ろに、ダイナミックに形を変える土地の姿と、それと闘い、あるいは寄り添ってきた人々の心の模様が重なり合って見えてくる。地霊の存在を感ずる。だからといって、それが公園づくりにどうつながるというのか。瀕死の状態にある御所沼を多大な技術的、経済的な困難を押してでも再生する意味は何なのか。著者自身迷いながらも、次第に答えを見出していく。それが公園のデザインに結実していく過程が面白い。
著者は言う。「風景を生み出すのは、凍りついたお手本としての山や川ではない。そうではなくて、流れいく時代を生きる人間の胸の内に芽生えるものではないか」、「御所沼は生得の山水ではなくて、自然と人間がからみ合いながら生成する有為転変の風景を引き受けるしかない」。
蘇った御所沼は息を呑むほどに美しい。ぜひ読者は現地を訪れ、自分の目で確認してほしい。美しい景観は市民のアイデンティティと誇りを生むという著者の主張が理解できるであろう。 |