<地域振興の視点> 2001/01■中国東北大学ソフトパーク 編集委員・一橋大学 関 満博
1991年8月に初めて訪問して以来、中国遼寧省瀋陽市は今回(2000年11月)で7回目となった。瀋陽は中国東北地方の中心地であると同時に、アジアでも最大級の重工業都市としても知られている。78年末以来の改革開放の中で、深・、上海、大連等の沿海部の都市が注目されているが、瀋陽は中国の国家建設に重大な役割を演じてきたのであった。
また、市西部に展開する鉄西工業区(約60・)は戦前期に日本が基礎を築いたことでも知られる。現在の鉄西900工場のうち、母体の日本企業が判明しているものが数十に上る。
だが、「国有、大型、重工業」の瀋陽鉄西は、近年の中国近代工業化の波に乗り遅れ、その改造が焦眉の課題とされている。それは21世紀の中国の改革・開放の最大の課題の一つでもある。私自身、このテーマにどのように取り組むかに苦慮しており、時折、手掛かりを探しに現地を訪れているのだが、なかなか糸口はみえない。これはかなり時間のかかるテーマと腹をくくっている。
そうした瀋陽に、以前から注目している興味深い動きがある。それは東北大学と言う有力工学系大学の動きである。中国ではこの10年来、大学の起業化が活発に行われ、北京の清華大学、北京大学等は、中国を代表するハイテク企業を生み出すなど、新たなうねりを引き起こしている。私自身もこの点も一つの取り組むべきテーマとしており、北京を中心に主要な動きをかなりしつこく追跡している。だが、今回、瀋陽の東北大学が意外な展開に踏み出していることに驚愕した。鉄西に沈む瀋陽は、また、全く新たな取り組みをみせていたのである。■日本のアルパインと合弁
東北大学は戦前期に張学良が設立した名門大学であり、教員 4,500人、学部生11,000人、院生 2,000人、さらに夜間学生 5,000人を数えている。中国では80年代の末頃、中央政府の財政が逼迫し、大学の予算がほぼ半分に削られることになった。その代わり、必要な予算は自分たちで稼げとされた。
そうした事態を契機に、90年代に入り、特に理工系大学の企業化、教員の独立創業が活発化する。特に、清華大学、北京大学等の有力大学が集積する北京海淀区中関村周辺が「北京シリコンバレー」と呼ばれ、ハイテク企業が 5,000社も集積するほどのものになっている。そして、北京の成功を受けて、全国の主要都市でも同様の動きが生じている。
瀋陽の場合、東北大学が中心的存在であり、90年代前半から興味深い動きが開始された。
92年、東北大学を訪問すると、工学部のコンピュータ・エンジニアリング研究室が日本のアルパイン(カーオーディオ)からのソフト受託開発に従事していた。93年には合弁に発展し、薄暗い、老朽化した研究室で30人ほどの人びとがコンピュータを前に働いていた。
96年に訪問すると、大学の敷地の一角に4?5階建のビルが出来ており、事業がかなり拡大している様子がうかがえた。その後、この合弁企業の東大アルパインは上海証券市場に上場する。日系企業では最初の上場、ソフト企業で最初の上場として注目を浴びた。これまでの開発ソフトの中では、アルパインとの間で開発したカーナビゲーションが最も事業的に成功したとされている。■東北大学ソフトパーク
だが、今回、案内されたのは、大学からは少し離れた郊外であり、入り口には「東北大学ソフトパーク」の表示があり、美しい芝生のひろがる広大な空間の中に、アメリカ型の閑静な研究開発拠点が形成されていた。敷地は50ha、超モダンな研究棟が点在し、戸建の別荘風の住宅、マンション、ホテル、ゴルフ練習場などが整然と展開していた。何か、別世界に連れてこられた気分であった。この5年の間に、事態が急角度に進展していたのであった。
近年、東北大学は東芝、オラクル、ノキアなどの世界の有力企業との合弁を重ね、幾つかの企業を形成している。さらに、それら合弁企業を統括する東方軟件有限公司(東方ソフト)と言う持株会社を設立、併せてソフトパークの開発に踏み出した。この素晴らしいソフトパークは中国の大学が形成した唯一のものであり、中国のコンピュータ・リサーチセンターとされている。ここで働く技術者は約 2,000人、通信、電力ネットワーク、社会保険、医療用CTスキャナー、eコマースなどのソフト開発に従事している。
さらに、東方軟件は瀋陽市内に5haほどのIT関連の流通センターを保有、また、大連に3haほどの東方軟件園大連園区も形成し、IBMのメインフレームの開発にも乗り出している。この間、97年にはIBMと戦略パートナーの契約、その後、オラクル、モトローラ、ノキア等の世界的大企業群との戦略パートナーとなっているのである。■大学改革の推進
また、日本の大学とは東北大学、関西大学、名古屋大学工学部と姉妹提携、さらに、上海の復旦大学(戦前の東亜同文書院)、青山学院大学との間では遠距離教育システムを開発中である。なお、東方軟件有限公司の董事長(代表取締役)の劉積仁氏(45歳)は、東北大学の副学長も兼務している。88年に東北大学工学部コンピュータ・エンジニアリング研究室長であった劉積仁氏が32歳で開始した事業が、ここまでの見事なソフトパークに成長し、近々、アメリカのNASDAQ上場が予定されるほどのものになっていたのであった。
90年前後から開始された中国の大学改革も、現在、新たなステージに立ちつつある。さらに、98年には大幅な学制改革が行われ、中央の各工業部に所轄されていた大学は中央教育部(72大学)と、各省市に移管、整理(約 1,000大学)された。単科大学から総合大学(合併)へ、病院、食堂等の分離、教員の整理(多すぎる)、教育・研究の明確化、自主財源の確保、研究成果の事業化が課題とされている。10年来の友人である赫学長は「これからの大学は、科学技術の成果をビジネス化していく責任がある」とし、外国の企業との合弁合作を今後も意欲的に推進していく構えである。
重たい「国有、大型、重工業」でイメージが形成されている東北瀋陽の地で、アジアでも最も先鋭的な取り組みが行われていたのであった。(せき みつひろ)
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