<地域振興の視点>
2002/01
 
■世界同時テロと都市
編集委員・日本経済新聞社 矢作  弘

 ニューヨークのワールド・トレード・センター(WTC)タワーが崩壊し、米国発のウェブ上では「世界同時テロの時代、21世紀の都市はどこに行くのか」といった議論が真剣に行われている。「都市のサステイナビリティーにとってなにがもっとも重要か」と問いかけられ、それは「安全である」ということに関しては議論の余地はないのだが、都市論としてスプロールのコストを払ってでも郊外に職場や居住を分散することがよりサステイナブルといえるのか、あるいはあくまでも都市の集積を維持することがサステイナブルなのかとなると、議論はわかれている。しかしそこはマッチョであることが大切だと考えているアメリカ人らしく、テロにおびえて逃げ出すよりは、勇気をもって都市にとどまるべきだという主張により多くの共感があるようだ。「勇気とは『苦難なときにも優雅にしていられることだ(grace under pressure)』とE・ヘミングウエーが定義していたのを思い起こそうよ、そして凍てつくような恐怖を怒りと挑戦のエネルギーに転換しようよ」と、シカゴ・トリビューン紙のコラムニスト、C・ページ氏が呼びかけていたが、そのあたりにアメリカ人の心情がよく吐露されているように思えた。
 しかし実際のところ、企業や個々人がどういう行動を起こし、ニューヨークのような世界都市がどのように変質していくかは、コラムニストの叱咤激励とは、また別の話である。ニューヨークの近未来に関しては、大方、2通りの見方がなされている。マンハッタンが地盤沈下することはないし、ましてやニューヨークが金融、情報のグローバルセンターとしての地位を喪失することはない、というニューヨーク不動論がある。集積の利益が恐怖のデメリットを上回っていると考えている。もっともその場合も、90年代のバブルエコノミーのおかげで浮揚した、WTCタワーのあったダウンタウンがもう一度よみがえることは、少なくとも短期的には期待し難いという但し書きつきである。あの惨事のウイナー(winner)はミッドタウンだといわれているように、大会社が本部をダウンタウンからミッドタウンに恒久的に移転する話が増えている。
 もうひとつは、テロが頻発するようになると、ニューヨークやロサンゼルスなどは、中堅都市との競争にさらされるようになるという大都市相対化論がある。湾岸戦争のときにも航空産業は痛手をこうむったが、インターネットやテレビ会議が今日ほどの技術レベルに達していなかったために都市の集積に対する評価がゆらぐほどの打撃はなかったが、最近は状況が違っているというのである。企業は、テレコミュニケーションが革新したおかげで中堅都市に拠点をもっても十分にやっていけるようになった。「大都市に居続けるためにセキュリティーに膨大なカネを払うことを考えるとはるかに効率がよい」という経営判断がありうるというのである。
 アメリカで安全性の面から都市のあり方が語られたのは、今度が初めてではない。戦後、都市への集積を忌避し、スプロールを促進した連邦政府の一連の政策は、国防目的の側面があった。冷戦時代に、核攻撃に脆弱なところはどこか。それは都市、特に大都市だと考えられていた。それで郊外への、あるいはもっと田舎への分散が、国防上、歓迎されたのだ。郊外居住のために学校建設や下水敷設などインフラ整備に補助金を出し、帰還兵などに対する郊外住宅購入も積極的に支援した。そしてなによりも、州際高速道路の整備が職場や居住の分散を決定的にした。いざと言うときには、高速で逃げるための退路にも使えると考えられていた。実際、州際高速道路の正式名称は「National System of Interstate and Defense Highways」である。もっとも、ソ連との間で核弾頭の射ち合いがはじまったら、郊外だろうが、西部の大草原に暮らしていようが、生き長らえると考えていたとすると、ちょっと楽観的過ぎると思うのだが。
 建築には、施主の思惟が反映する。テロリストに譲歩しないためには、アメリカの力のシンボルとして巨大建築を建てつづけるべきであるという主張がある。ウェブ上では、倒壊したWTCタワーの跡地をどうするかについての議論が活発だが、更地にして記念碑を建てるべきだという意見に対して、超高層のツインタワーだったWTCとは違った形で堂々たる連棟を誇示するのがよく、WTCタワーの半分の高さの超高層ビルを4棟建てたらどうかという提案が出ていた。それには、反対の意見もあった。9月11日の事件直後、マサチューセッツ大学のJ・ムーリン博士が、超高層ビルについてこんな問いかけをしていた。「われわれは高層ビルを建ててきたが、それはシンボリズムに関係している。大きな建築ほど、その社会の繁栄を象徴すると考えてきた。しかしいまや、われわれはそうした考え方を超越したところにいないか。私の気持ちはイエスだ。ニューヨークのような都市は、もはやその力を証明するのにいかなるシンボルも必要としなくなっていると思う」。
 「ニューアーバニズムのゴッドファーザー」と呼ばれているL・クリエル(Krier)氏がニューアーバニストでテキサス大学のN・サリンガロス教授とのインタビューのなかで、テロに対する超高層ビルの脆弱性を象徴的に語っていて興味深かった。「あの事件以降、建物の高さに対して心理的にも、実用的な面からもわれわれの考え方は大きな影響を受けた」と述べたあと、ペンタゴンとWTCタワー1棟がほぼ同じ床面積(おおよそ500万平方フィート)だったと指摘していた。そしてもしペンタゴンがWTCタワーのような超高層ビルに入っていたら、民間航空機1機の激突によってアメリカの防衛システムは壊滅的なダメージをこうむっていただろうというのだ。半面、WTCタワーが4階建てのビル群に入居していたとすれば、それを破壊するのにはB737型機2機が衝突したのでは到底間に合わず、160機は必要になると述べていた。
 事件後、少なくともウェブを読み続けてきた印象としては、WTCタワーのような超高層ビルがサステイナビリティーを欠いているということに関しては、暗黙の了解が生まれつつあるように思える。都市の集積を高めるために、スカイスクレパーをガンガン建て続ける時代は、9月11日以降、確実に遠のいたのである。

(やはぎ・ひろし)


記事内容、写真等の無断転載・無断利用は、固くお断りいたします。
Copyright (c) 2003-2004 Webmaster of Japan Center for Area Development Research. All rights reserved.

2002年01月号 目次に戻る