石原武政 著
2006/06
 
小売業の外部性とまちづくり
有斐閣(定価3,780円、2006.3)

 消費者が「まち」(以下では「街」と書く)にやってくる。新しい商品を見、買い物をし、イベントを楽しみ、お茶を飲み食事をし、…。いくつかある身近な街の中から、好きな街に出かけていく。好きな店があるのでその街に行くという理由もあるかもしれないが、商品が揃っている、便利に買い物ができる、清潔で安全だとかといった理由も街を選ぶ理由として大きい。後者のいずれもが、一つひとつの商店の魅力を超えた、街全体の魅力に他ならない。商品が揃うのは魅力ある多くの店が集まっているからだし、便利に安全に買い物ができるというのは近くに駐車場があったり街路に自転車が群れをなして停まらないように商店街が規制したりするおかげだ。
● 商店の外部性
 個々の商店を超えた「街の魅力」。これは、どうして作り出されるのか。「一人一人がそう思ってやればいいじゃない」という簡単なものではないことは本書を少し読めばわかってくる。全体でできあがる価値、それは個々の商店が努力の及ばない個々の商店の「外部」なのだ。「街並み」というのは、その典型だ。それは、商店主が思い通りに作り込めるものではない。意のままにならず、思惑外のことがいろいろと起こる。そもそも管理できないそうした「外部」を、どのように管理することができるのか、これが本書を通底するテーマだ。 もっとも、「そんなこと気にしなくても良い。隣なんか当てにせず、自分の商売をきちんとやったらいいんだ」という意見もある。ダメだとは言えないが、そういう人ばかりだと街としての好ましい秩序は生まれない。皆が好き勝手に商品を選び店構えをしていたのでは、街の魅力は生まれそうにない。オフィスや風俗店やパチンコ店やファストフード店が無秩序に立ち並ぶ街になってしまう。もちろん、それも一つの秩序といえば秩序、街の魅力といえば魅力かもしれないが、商店主はそんな街に愛着を持てるのか。その街をよくするために何かしようとか、この街が好きだから子供に店を継がせたいとかという気持ちが湧くだろうか。街は、そこで一儲けしたら、一刻も早く出て行きたい稼ぎどころでしかない。
● 企業家商人と街商人
 「店の外部にあるものは気にせず、自分のことだけ一所懸命やればよい」と思う商人の一握りの人たちは、その通りにして商売を大きく成長させた。大型化やチェーン化という手法を使えば、街並みがどうであるかとは無関連に成長できる。むしろ、旧来の街並みなどを壊した方が成長には有利という状況さえ生まれる。そしてそれによって、商品の値段が下がり、一度に買い物ができるという便利な社会が作られた。
 そういう商人たちは、経済学者や経営学者によって褒めそやされる。企業家精神溢れる経営者として評価され、小売商業の革命者として高い評価を受ける。それはよい。他方、街に残った商人たちはその分、その成長の波に乗らなかった企業家精神の乏しい商人として貶められることになる。街商人たちのやってきたことは、では、意味がなかったのか。そうではない。企業家精神溢れる商人たちは自分の商売をうまくやる視線、つまり「内に向けた視線」をことのほか強くもっていたとすれば、街商人たちがもっていたのはそれとは対照的な視線、つまり「外に向けた/外から見る視線」だった。違いはその違いだけだ。
 商人たちが「まちづくり」に取り組むには、そうした外からの視線が不可欠だ。自分たちの商売が隣人の商売と深く関係していることを知ること、自分たちの商売の連なりが消費者には一つの街並みとして映ること、そしてそれが街の魅力につながっていくこと、そうしたことを十二分に意識してはじめて、まちづくりという気が遠くなるような息の長い事業を始めることができる。
 

●本書の意義
 以上がざっとした本書の紹介だが、本書の実践的意義は、商業論の中で(そして経済学や経営学の中で)これまで見過ごされることが多かった価値を再評価したことである。「街を愛する街商人」「街並みの美しさ」「われわれが気持ちよく暮らしていくための秩序」は、本書が評価する価値の一部である。市井に暮らす人には、学者がこうした価値を無視して議論を進めてきたのかと暗然とされるかもしれない。研究の立ち位置を普通の生活する人の感覚に戻そうとしたその点に、本書の真の意味での実践的意義がある。そしてそれゆえにこそ、まちづくりに取り組む商人あるいは行政の人たち(そして生活者である私たち)が、まちづくりにおいて、何を大事にしなければならないのか、そのことを根本から教えてくれることになる。
 理論的意義はどうか。本書の理論的な問題意識は、「『まちづくり』によって問いかけられる商業論」という点にあると著者自身述べている。まちづくりは小売商人によって担われる場合が多いが、小売商人を理論化の対象とする商業論では、そのことはまったくと言ってよいほど扱われなかった。その空白を埋めるのが本書である。 著者の理論的問題意識に沿えば、本書の評価視点は、一つには「商業論は、そのことによっていかに鍛えられることになったのか」である。店舗という使用価値側面を分析の前面に押し出し、「店舗の外部性」「対外的視線」「対内的視線」、あるいは「街商人」といった新たな概念を創造し、われわれの共有財産とする可能性を示した点を高く評価したい。 もう一つの視点は、「商業論が鍛えられることで、では『まちづくり』にいかなる知見を与えることになったのか」である。著者が強調する「しなやか」とでも呼ぶべき「ルール」概念が、大変貴重な概念だ。これは、まちづくり論を超えて秩序一般を考える際にもきわめて重要な概念になると思う。
 最後に一言。著者は、街の秩序や伝統を大事な評価軸に置く。それが生み出される機制が、歴史や法制度や政策論において蓄積された研究蓄積をベースに論じられる。評者は、その集大成である7章を読みながら、その底流を流れる著者の価値や視点に心から共感するとともに、それを支える論理の確かさに感動した。と同時に、社会における平等への志向が保守主義と重なり合ってしまう不思議さに一種、深い感慨をもった。研究にも外部性があるのだということを、改めて感じ入った次第である。

(神戸大学・石井淳蔵)

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