2007/11

 
夏の暑さにも負けず韶関と墨田を歩く

 この夏は猛暑にもめげず(筆者は暑さにはめっぽう弱い)さらなる「熱気」にあたりに(?)中国の韶関(しょうかん)市へ、伝統と職人さんの技術を見に墨田区へ、と出かけた。いずれも、本誌編集委員であり「現場学者」として名高い一橋大学関満博教授率いる視察に同行させていただいたのである。
 中国は1週間にわたる関ゼミの合宿に前半だけ参加した。訪問先は韶関市。広東省北部に位置し、人口約320万人、面積1.86万kmで日本の四国より少し広い都市である(下図)。広州市に隣接し、湖南省・江西省に跨る物流の要衝となっており、産業は金属加工業・IT関連の製造業などが中心である。また、緑と水の豊かな土地であり、水力発電による安価で安定した電力供給と中国の優良な観光都市の一つとして「工業観光都市」を目指している。
韶関市の位置
■韶関市の位置(位置図は、韶関市の資料より筆写作成)
 交通の面でも鉄道や高速道路の整備が進んでおり、2008年に高速道路が完成すると、広州空港から現在約2時間半かかるのが1時間程度に短縮されるという。空港からバスでのどかな田園風景の中をまずはホテルへと向かったが、突然ビル群が現れ、それが韶関であった。実は開発途上というのでもっと田舎町を想像していたが、高いビルが立ち並び、川沿いはきれいに整備されて思っていたよりずっと都会であった。さらに建設中のビルが多いのにも驚いた。
 市政府によれば4期(4地区)の工業開発区の建設計画があり第1期は完成、第2期計画が進行中である。工業開発区には現在約50社が進出しているが、その8割は香港系企業、次いで台湾系企業である。日系はまだ3社というが、日系企業の誘致にも意欲的で、9月初旬には市長をはじめとする人民政府関係者及び企業経営者の代表一行が来日、同市主催による投資環境、日系進出企業の経営状況を紹介、日中出席者による交流会を開催した。
韶関市の都心部
■韶関市の都心部
 同じ広東省では深せん(土偏に川)が知られるが、最近発展著しく、人件費が急騰して内陸部への企業移転が進んでいるようである。毛沢東時代の政策により沿岸部の企業を強制的に内陸部に移転させたが、韶関もそうした都市の一つであるから、移転先として韶関は有力である。こういった動きに関教授は注目している。韶関の産業については、関教授が本を出版される予定であるから、ぜひそちらを読んでいただきたい。
 韶関の視察では、カメラとノート片手に工場見学をしている日本の研究チームのほうがむしろ珍しかったようで、こちらの方が観察されていた面もあった。日韓の合弁で2年ほど前に深せん(土偏に川)から移転してきたBESTONEKA YA INTL CO., LTDでは、日本人の高橋肇子(けいこ)さん(顧問)が工場案内をしてくださった。ここは主にブランド品の化粧ポーチやショッピングバックなど、日本でも、特に女性ならきっと目にしたことのある製品のデザイン、縫製、製造をしている。高橋さんは事務所の上に住み、日本に帰りたいと言いながらも、日本企業がまだあまり進出していないこの地で颯爽と活躍されていて、頼もしい。
 余談だが高橋さんに韶関にも日本料理店が1軒あると聞き、どんなものかとその晩出かけてみたところ、すでに3軒ほどあるとか。食した店は期待しない分まずまずであった。
 
 さて、8月の下旬には関教授を中心とする勉強会で墨田区のものづくりを視察した。筆者が訪問したのは3社プラス昼食を摂ったスパイスカフェ。
 
ご案内しよう。まずは刻印機の製造メーカー東京彫刻工業株式会社(代表取締役社長:花輪篤稔氏)1) 製品に製造番号などが刻まれているのをご存知であろ う。
ドットマーキング
■ドットマーキング
(資料:東京彫刻工業(株))
刻まれるといっても打刻であり、彫っているわけではない。打刻された身近なものではタイヤ、パソコンや時計などに打たれている数字(製造番号等)、近頃はバーコードなどもある。打刻する素材は様々で、金属ばかりでなく皮などもある。また平面だけでなく球形など多様な面があり、さらに文字や記号の種類や大きさもいろいろである。それらに対応するための技術も開発している。  
 次の大黒屋さんは江戸木箸の創作販売2)。社長の竹田勝彦さんは、歯ブラシと同様、毎日使う自分のお箸はもっとその人の手に合ったものであっていいはずだと言う。自分の使いやすいものを選んでほしいと、手にとって選べるように作業場のとなりに工房ショップを作って販売している。
 用途別でおもしろいのは納豆箸、手打箸(そば・うどん用)、豆腐箸、マイ箸……お箸は3点を支点にして持つのだから、奇数のほうがいいのではないかと5角形のものもある。持ってみるとふつうの丸箸や四角のものより手になじんで持ちやすい。納豆用は短めで先のほうも少し太め。
買って帰ったが確かに混ぜやすい。 生卵も良く混ざるが、卵専用が別にあるかは未確認。 マイ箸はテーブルに直に置いても、箸おきにおくようにお箸の先がテーブルに触れない。だからいつも持ち歩いて使ってほしいと。そのほか握力の弱くなった年配の方や、子どもが持ちやすいものなど、用途と使い手のことを考えた200種類を超える多様な箸がある。デザインもすっきりとしゃれていて見るだけでも楽しかった。
大黒屋の機能的で多様な箸
■大黒屋の機能的で多様な箸

 3社目は江戸小紋・江戸更紗の染色工場「大松染工場」3)。私事で恐縮だが筆者が子どものころ、母は冬はほとんど着物であったし、父も会社から帰宅すると家では和服であった。筆者自身も同年代の中でも着物を着る機会が多いほうであったが、それでも最近はめったに着ることがない。しかし、夏の花火大会などはゆかたで出かける若い人も増えたようだし、友人の男性は仕事を辞めたらなぜか和服党になった。日本の伝統(民族衣装)が見直されてきているのならうれしいのだが、残念ながら自分で着られない民族衣装とも言われる。
 それはともかく、大松さんで見せていただいた、さめ小紋の美しさ、その技術に、こういうすばらしいものがずっと続くよう、もっと着物を着ないといけないと思った。
型紙を継ぐ
■型紙を継ぐ(資料:大松)
 型作りの技術、染めの技術いずれもため息の出るような職人芸の賜物である。江戸時代の奢侈禁止令が生み出したさめ小紋は、皮肉なことにこうした職人さんの心意気から生まれたものだろう。当日見せていただいたさめ小紋の染付けは若い職人さんであったが、無駄な動きのないすばらしいものである。型を置いて染料で染めていくが、1度染めたところへ同じように2度目の染をする。さめ小紋は細かいほど良いとされるが、型が少しでもずれれば模様はつぶれてしまう。これを淡々とあっという間に染め上げて、鮮やかに小紋が浮かんでくる。思わずかっこいいとつぶやいた。
 社長の中條さんは、こういう技術は何年やったからできるというものではない。100人に1人ぐらいだとおっしゃる。東京彫刻工業さんでも案内役のベテランの方が、まだ新人の方の作業を説明されるときに、こういう技術は教えても本人が自分で習得しようという意欲がないとなかなかものにならない。この新人は意欲的に努力していてまだ1年位なのになかなかいい、と本人より先輩のほうが誇らしげであった。
 韶関でも、墨田でも、すごいと思うのは、技術そのものだけでなく、ものづくりをしている方に共通している製品に対する愛情と自分の仕事に対する誇りが感じられることだ。
 韶関は一般の人が行ってみるにはまだ距離があるが、中国へ進出しようという企業の方は検討されてはいかがだろうか。

 墨田へはちょっとお箸を買いに出かける、などというのも楽しいのではないだろうか。地方の方も東京へ遊びにこられたら、六本木ヒルズと東京ミッドタウンもよいが、歴史ある江戸のなごりのある墨田を散策されるのも良いだろう。そして、そのときの昼食はぜひスパイスカフェでおいしいカレーを食べていただきたい4)。お店はなんとも言えず温かい雰囲気と、くつろげる空間である。店長でシェフの伊藤一城さんは毎年1カ月くらい店を休んで、新しいメニューのために海外へでかけるそうである。 墨田に住んだことはないのだが、まちなみに何か懐かしいものを感じた。それは町工場の親父さんが道路にまではみ出して仕事する姿だったり、「北斎通り」で、あの北斎がここを歩いたのだろうかと想像が膨らんだことだったのかもしれない。

1)http://www.tokyo-chokoku.co.jp/index.html
2)http://www.edokibashi.com/shop.html
3)http://edokomon-daimatsu.com/index.html
4)http://sumida-avenue.com/NewFiles/html/syoukai/spicecafe/spicecafe.html
(編集部・吉成雅子)

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