本書は、奥田道大の「都市的なるもの」への半世紀に及ぶ探求の、2009年の地平から「新都市社会学」を問う序説である。
本書第I部の冒頭、「序・都市研究の視点の推移」において、奥田は「大都市の構造変容を、磁場とする地域の現場から捉え直す作業に終始していた」という。その作業から「例えば東京の特定の地域現実とニューヨークのそれを共通の『トランスナショナル・ソーシャル・フィールド』として相互レファレンスするダイナミック・コンパラティブの手法が視界に入ってきた」という。それは「筆者にとってのかすかな曙光」である。
第II部、「地域住民と結ぶ都市的なるものとは何か」では、その具体的な追求が明かされる。大都市「都心部と郊外部の一部にもウィングをひろげた『第三の空間』」の地域現場である池袋、新宿での越境アジア系外国人との出会い。その調査から発見した都市的なるものの新たな様相。その調査から越境する「大都市衰退・再生シナリオ」の事例への読み替え。結果として「都市コミュニティの規定も、例えば『さまざまな意味での異質・多様性を内包した都市的な場にあって、人びとが共在感覚に根ざす相互のゆるやかな絆を仲立ちとして結び合う生成の居住世界』と複雑さ(complexity)を増している」という。
第III部、「『下からのトランスナショナル・アーバニズム』に向けて」は、上述の方法の根底にあるものの、興味ある内容を語っている。奥田がイメージする方法には、初期シカゴ社会学派から90年代以降の「初期シカゴ再見ないしポスト・シカゴ」に至る方法への傾倒が通奏低音として流れている*。奥田があげる都市モノグラフは、例えばW. F. ホワイトの『ストリート・コーナー・ソサイエティ』(1943及びその後の増補版)、イライジャ・アンダーソンの『ストリート・ワイズ』(1990)等である。 |
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また、例えば1980年代半ばのフィラデルフィア滞在時のアメリカ大都市の想像を絶する荒廃、地域における複雑な人種差別等の知見は、「大都市衰退・再生シナリオ」のリアルな認識を支えている。
奥田は、調査分析の国際的レファレンスを支える大学の新研究組織や国際的アーカイブスの蓄積等の提案にも言及し、2006年には第三世代、第四世代の新しい人を中心に「先端都市社会学研究会」を立ち上げ機関誌を創刊し、提案を具体化し始めていることを紹介している。
終部の第IV部は、創生期シカゴ学派の黒人学者デュ・ボイスへのオマージュであり、“いま改めて、都市に生きるとは何かを問う”著者のメッセージともなっている。 |