岡部明子 著

2010/12

 
『バルセロナ――地中海都市の歴史と文化』
中央公論新社(定価924円、2010.08)

 すでに欧州の地域政策研究の第一人者として活躍中の著者が、その原点というべきバルセロナを「あたかもひとりの人物であるかのように描きたい」と思い、実際に描いてみせたのが本書だ。議論の中心に据えられるのが「都市のかたち」である。政治的にも空間的にも最も都市が変革しつつあった時期に現地に居住していた、著者のいわば目撃者としての観察と経験、そして帰国後も常に鋭いまなざしを注いできたその独自の視点・切り口でもって、バルセロナの都市のかたちを点描していく。セルダ、ガウディ、サニエル、ピカソ、カザルス、民主化後から現在まで続く都市再生政策、個性的な政治家たち、そしてサッカーのFCバルセロナや料理界まで、個々のトピックが交差しながら、やがて「ひとりの人物」バルセロナの人生が紡ぎだされてゆく。
 第4章から第6章に記述されたフランコ独裁政権時代から21世紀のグローカルな文化戦略へと続く論考が、類似書と本書を決定的に相違づけている。著者一流の現代都市論であり、示唆的なエピソードに溢れている。何点か見てみよう。
「公共空間のバルセロナモデル」は、質の高い公共空間ならびに文化施設の整備、国内外の建築家による斬新な建築群やストリートファニチャーの挿入といった魅力的に映るデザイン言語に溢れており、再生事例として思わずその表面だけでも掬ってみたくなる。しかし、公共空間を軸に花咲いたここ30年ほどの「都市のかたち」は、ひとつの歴史的必然であり結実であったこと、そしてその社会文化的文脈を丁寧に読み取ることの重要性を、本書は指摘する。例えば、バルセロナの都市再生の原動力には、「怒り」があった。フランコ独裁政権以降、街路や広場に市民が自由に集えることに対する、強烈な、そして飽くなき熱望が全市民の間に濁流のように渦巻いており、それがその後の公共空間の成熟の下地となっている、



 

というのだ。そしてそうした「怒り」を汲み取り、望ましい「都市のかたち」を模索した政治家の積極的なイニシアチブも忘れてはならない。本書から、カタルニア人の都市に対する情熱に触れて、現代の私たちの最大の都市問題は都市に対する「無関心」なのかもしれないと、ふと思った。
  本書はまた、都市が再生することに関する実感の大切さも示唆する。都市政策の成果は、できるだけはやく「目の当たりに」することが重要である。さもなければ、市政や都市計画に対する不信、ひいては無関心を惹起しかねないからだ。本書で点描されたエピソードから滲み出ているのは、都市空間における政治の重要性ならびに可能性である。
  バルセロナを「ひとりの人物」として描くことはすなわち、交易都市から産業都市へ、そして創造都市へと大胆に産業構造の転換を図ることで都市の再生を進めてきたひとつの地中海都市のダイナミズムを描くことにほかならない。それに成功している本書は、すぐれた歴史書であり、現代都市論である。魅力的な「人生」のエッセンスが凝縮している。ぜひ一読を勧めたい。

(東京大学大学院・阿部大輔)

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