2011/05

 
東北地方太平洋沖地震災害からの復興
『地域開発』編集長・東京大学 大西 隆(おおにし・たかし)

 首相官邸のHPを見て、政府は、当初この大きな被害をもたらした地震を東北地方太平洋沖地震と呼び、多分この間、多くの人が日常的に最も接してきたNHKは東北関東大震災と呼んできたことに気が付いた。政府の呼び方が国の正式名称であろうが、NHKのように「東北関東」と呼ぶ方が、この地震災害の大きさが実感できると思っていたら、4月からは東日本大震災というさらに範囲の広い名称に統一され、震災の大きさを改めて感じさせることになった。
  次第に明らかになってきたことは3万人にも達するかもしれない死者・行方不明者の多さ、物的被害の甚大さである。特に、宮城県の女川町や岩手県の大槌町では死者と行方不明者の合計が人口の10%を超える被害にあった。亡くなった方々に心から哀悼の意を表するとともに、行方不明者の中からできるだけ多くの方の生存情報が届くことを願わずにはいられない。
  まだ全貌はわからないものの、これらの犠牲になった方々の多くは津波に巻き込まれたとされる。近地大地震が短時間に引き起こす大津波の恐ろしさが改めて浮き彫りになった。このため、やがて本格化する復旧・復興策の議論では、何十年かおきに繰り返される大津波の被害から免れるまちづくりをいかに進めるかが最重要の課題となる。筆者の研究室にも、大地震によって起きた巨大津波災害を研究テーマにしている学生がいる。インドネシアからの留学生で、2004年12月に起こったスマトラ島沖大地震に伴うインド洋大津波で22万人もの犠牲者が出た災害後に、安全な場所にまちを創ることができたのかをテーマに研究している。現地の様子では、被災地の方々は、もちろん大津波が来ても安全な場所に住むという点に大きな関心を持っているものの、土地の入手、仕事の関係などで、安全度の高い場所に集落を移すことは容易ではなく、避難場所になるような建物を近くに建てながら、被災した集落の近くで再建するケースも少なくないという。
  今回の東日本大震災でも、まちを再建するのに津波被害がありうる海に近い低い土地は避けて高台にまちを再建することは重要なポイントになる。被災地のひとつ釜石市の唐丹本郷地区では、1933年の昭和三陸津波(3月3日午前2時M8.4地震に続く津波によって宮古市田老地区等で集落崩壊の大きな被害があり、全体で死者・行方不明者約3,000人)の被災後に、集落が全戸で高台に移転し、今回の津波被害は免れた。しかし、同地区でも、高台移転のずっと後に、防潮堤ができたことから、低地に建った50戸ほどの住宅は全壊した。大船渡市の三陸町吉浜地区でも1896年の大津波後(6月15日午後7時過ぎにM7.6の地震が大津波を起こし、釜石町で6割以上の住民が亡くなるなど、全体で死者18,000人)、それまでの居住地区を農地にし、集落を挙げて高台に移って今回の津波では家屋のほとんどが被災を免れた。加えてこの地域では、1960年にはチリ津波を経験してきているから、津波の被害を防ぐには、集落移転という大決断・大事業も必要であるという意識を被災者の多くが持っていることは想像に難くない。問題はどのようにして実現するかである。
  高台での再建を可能とするには、高台に土地を確保し、必要に応じて造成し、かつ種々の施設にもアクセスしやすい利便性を確保することが必要である。したがって、それぞれの土地条件に応じた即地的な対応が求められることは言うまでもない。

 

  また、高台移転を可能にするためには、高台の土地確保と同時に、低地にある現有地との間の交換を行う仕組みが有効と思う。土地区画整理の発展形ともいえようが、低地と高台の土地を交換して、高台には住宅等、主として居住スペース、低地には港と切り離せない施設、中層以上の鉄筋コンクリート造の施設を立地させ、あるいは農地として利用する。
  低地から高台に及ぶ広範囲の事業とはいえ、区画整理による土地の交換なので、素地の買収は必要としないのが原則である。これまで経済価値の高かった低地から、価値の低かった高台に移るのであるから減歩は多くない。さらに事業の実現可能性を高めるには、造成費を含む事業費には公的資金を投入することが必要である。
  こうした安全なまちの創造のプロセスにおいて欠かせないのが、当然のことながら被災者であり、今後、そこで生活していく住民の意思を最大限に再建事業に反映させていく仕組みである。被災からの復興なので、国や県など外部の支援が欠かせないのであるが、これから長きにわたって暮らしていく住民の理解と満足が得られなければ、復興事業は成り
立たない。しっかりした住民組織を立ち上げて、復興事業の発案から意思決定の過程に、その意向を十分に反映させる必要がある。
 住民には、住まいやまちの復興と並んで、地域社会と経済の復興、あるいはそれぞれの家庭の再建という大きな課題がある。災害の犠牲者が多いことも地域社会にとって大きな打撃であるが、避難生活、仮設住宅と続く時期に他の地域に移る人も出てくると思われるから、地域社会経済の再建は容易ではない。地場の農林水産資源を生かした農業や漁業、
さらにこれを原材料とした加工業等の地域の産業を再建することがまず重要であることは言うまでもない。生産設備の再建に種々の補助金、無利子融資を整えて、再建を助けることは政府の大きな役割である。加えて、国内の企業にも、被災者救済のために現地に事業所を開設して雇用機会を提供するよう働きかけることも大事である。
 ここでも、地域社会経済の再建には、その担い手が地域の中から出てくることが必要であるから、長期的な視点に立って、人材育成と産業復興・起業支援を続ける体制が求められよう。これらを通じて、被災者自らが復興を担う自立復興の道を確かなものとすることが重要である。同時に、震災が人口減少社会に入った日本で起こったという事実も復興過程に大きな影響を与える。東北から関東の太平洋岸は、仙台などの大都市を除けば、人口減少傾向が続いており、震災はこれに追い打ちをかけることになるのは避けられない。これに対処するには、インフラの復興で、地域間の交通を改善して、広域的な活動ができる条件を整えて、地域の力を引き出すことが必要となる。つまり、被災地域の拠点都市が地域をリードするという仕組みを作っていくことが被災地域全体の復興にとっても必要となる。


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