【特別連載】復興へ! 東日本大震災:その2 2011/06
近現代社会の超克―中間技術、連携、そして協働― 龍谷大学政策学部教授 矢作 弘(やはぎひろし)
今度の大地震のニュースを最初に知ったのは、台湾の桃園から台中に向かう新幹線の車中であった。多色刷りタブロイドの夕刊大衆紙に、日本で巨大地震があったことを報じる大きな題字が躍っていた。題字の下半ページに、惨事を撮った写真が載っていた。ホテルに着いてすぐテレビをつけ、CNNで東北地方が途轍もなく大きな震動の地震と津波に襲われたこと、そして福島第1原子力発電所で深刻な事故が起きていることを知った。研究会のあった東海大学(台中市)では、建築・都市計画専攻の先生方からお悔やみと日本の早い立ち直りに対する期待の言葉をもらった。
そのとき、脳裏をめぐったことは、科学技術に対する妄信、科学技術の実際的な活用の場としての巨大な構造物/システム信仰に対する「自然の反逆」ということであった。作家の開高健の名言に、「朝露の一滴にも天と地が映っている」というのがある。今度の大地震、大津波、原発の大事故は、けっして「一滴の朝露」のように小さく、儚いものではないが、近現代社会の、自然に対する傲慢さが、一連の惨禍と事故にまざまざと映し出されたことは間違いない。
産業革命以降、近現代社会が追い求めてきたことは、もっぱら効率性の追求であった。そのために過度の集積を目指してきた。また、巨大主義の普遍化をよしとしてきた。その根底には、物質至上主義があった。20世紀末の「豊かな社会」は、その到達点であった。しかし、それはまたひどく脆弱な社会でもあった。大地震と原発事故は、われわれに、暮らし方、働き方の「かたち」を根底から考え直す覚悟を問いかけている。原発だけではなかった。大規模防波堤も、激しく揺れた新宿西口の超高層ビルも、液状化した浦安(千葉県)の埋立地住宅団地も、そしてズタズタになった新幹線も……脆弱であった。
図 東北3県の地震・津波被害の大きい主な市町 目指すべきは、被災からの復興を超え、21世紀型の暮らし方、働き方の創生である。そこまで考えてE.F.シューマッハーの『スモール イズ ビューティフル』(講談社学術文庫 1986年)に思い至った。原著は1973年に出版された。巨大主義に毒された近現代産業社会を痛烈に批判した書である。時がエネルギー危機と重なったために、出版と同時に世界的なベストセラーとなった。シューマッハーは「規模の問題」を論じて「都市の適正規模の上限は、たぶん人口50万人まで」と主張して当時台頭してきたメガロポリス論を論難し、返す刀で「原子力発電は救いか、呪いか」を問い、大規模な原子力開発に潜む危うさを指摘して「人間の顔をもった技術」の有用性を論述している。
シューマッハーは、「人間の顔をもった技術」を中間技術論として論じている。伝統的な技術と先端的な技術の中道に位置するのが中間技術である。即ち、シューマッハーは、中間技術を発展させる3つの道を紹介しており、そのうち<第一の道>は、「伝統工業の在来技術を使い、これに先端技術の知識を加味して適当に改良することである」。そして<第二の道>は、「最新の技術を出発点として、これを適正技術の要求に合うように改造することである」。
釜石市コミュニティ住宅付近に
津波が残していった自動車 (4月3日)
※撮影:(財)日本地域開発センター飯島克如(以下同)中間技術のもつ開発優位性に着目し、シューマッハーは「中間技術は、土着技術(たいてい破壊している)よりもはるかに生産性が高いが、一方、現代工業における複雑で高度に資本集約的な技術と比べると、ずっと安上がりである。この程度の資本規模なら、比較的短期間に数多く作れる」と指摘している。さらに中間技術は、地域的に取り組むのに格好な技術である、と述べていることも注目に値する。
地震研究者たちが「東海地震に加え、東南海、南海地震が『何時起きても驚かない』」と解説するようになって久しい。3地震が同時、連動して発生する可能性も否定できないという。その時の地震エネルギーは今度と同等か、それを凌ぐはずである。今度のことで近い将来、原子力発電所を新たに建設することも、停止している既存の原発を再稼動させることも、国民感情が容易には許さない状況にある。
新聞などで識者の提言を読むと、原子力発電の代替エネルギー先として太陽光発電、風力発電、バイオマス燃料を使った発電、地熱発電など、自然エネルギーに対する期待を熱く論じている。中間技術論は開発途上国の開発理論として論じられているが、ここで代替エネルギーとして挙げられているものは、いずれもシューマッハーの説く中間技術論の範疇に納まるエネルギー源である。被災からの創生では、これらのエネルギー源といろいろな蓄電システムをネットワークで結合し、地域レベルで最適なエネルギー供給システムを構築できれば素晴らしい。それこそが「エコタウン」の名前に適うはずである。「新たな産業革命を起こす」を副題とした『自然資本の経済』(ポール・ホーケン/エイモリ・B・ロビンス/L・ハンター・ロビンス著、日本経済新聞社2001年)などの主張にも通底するエネルギー思想である。
エネルギーの供給サイドが構造転換を迫られているとすれば、当然、エネルギーの需要サイドもそれに適合しなければならない。原子力発電の停止で失われる30%のエネルギー供給を必死になって代替エネルギーで取り戻し、これまでと同レベルの「豊かな暮らし」に戻らなければならないのか、それともこれまでの3分の2のエネルギー消費の暮らしと働き方を設計するのか、が問われている。後者は、Small is Beautifulの選択である。
そこでは生活価値観、したがってライフスタイルのコペルニクス的な転換が求められる。この際、20世紀後半に経験した右肩上がりの成長軌道に復帰するのを目指すことは現実的ではない。Small is Beautifulの暮らしは、英国の古典派経済学者J.S.ミルに習えば、定常状態の経済社会に相応しい生活を甘受するか、という問い掛けである。自分が成功するために他人を騙したり蹴落としたりするような競争社会を忌み嫌ったミルだが、一方で定常状態の経済社会はけっして停滞し、飽き飽きするような不活発な社会ではない、という趣旨のことを書いている(『経済学原理』)。確かにマイカーを購入したり、豪華なレストランで食事をしたりして虚勢を張り、消費景気を盛り上げるような暮らしをしなくても、朝、食後の珈琲を飲みながらFMラジオから流れて出る音楽を聴き、読書をし、家庭料理を楽しむ小さな生活にも、大いに知的な刺激があるし、物質主義とはまったく違った豊かさがある。
「釜石ドリームパークシープラザ遊」に
支援物資が集められた(4月2日)
壊滅した陸前高田中心市街地(4月3日)今度の地震、津波災害をめぐっては、被災地の住民同士の助け合い、地域外からのボランティア活動などが注目された。日本社会がもつ良識や耐久力の強さがそうした扶助活動に表出している、というようなことを新聞が書いていた。テレビなども、助け合いの事例を繰り返し紹介した。海外では、ジャパニーズ・スピリッツに対して賞賛の声が上がっているというのである。そうした賞賛の背後には、「人は自立すべし」という近代思想があるように思う。ある新聞のコラムは、避難所暮らしが長くなると、食事や洗濯など身の回りのことをボランティアがしてくれるので、そのうち世間に対する依存心が強くなり、自立して生きる力が損なわれるという指摘がある、と書いていた。
だが、実際は、「自立」という近代の思想には嘘がある、というのが正しい。個人主義の基本は、自分のことは自分で始末をすること、ほかのひとの助けを得ずに自分の足2本で立ち、歩き続けることのできる「自立した個人」を前提に成立する――と説かれてきた。しかし、「自立した個人」などだれ一人としていないのである。ロビンソン・クルーソーの孤島暮らしではないのだから、だれもが周囲の人に助けられ、コミュニティに支えられ、社会の支援を得、漸く生き、暮らしているのである。今度のことは、そのことを思い新たにする機会になった。
「平成の合併」では、(財政的に)「自立」できていない地方の弱小自治体は、「隣の大きな自治体に吸収合併されるべし」と永田町や霞が関、経済界に圧力をかけられた。C.アレグザンダーは『パタン・ランゲージ』(鹿島出版会 1984年)で「人間的な方法で自治が可能な集団の規模」を論じ、その延長で少なくとも2人の知人(地区内に12人の知人がいると仮定する)を介すことによって地区政府の最高幹部と接触できることを条件とすることなどを踏まえ、「7000人のコミュニティ」の有意性を検討している。行政と住民の円滑な意思疎通を可能とする規模に関する議論である。
「平成の合併」で風袋が大きくなった自治体では、住民との距離が遠くなった。そのために、今度の惨事では救助や被災からの復旧活動で問題が発生しているというようなことは起きていなかったのだろうか。今後、検証が求められるはずである。
一方、この間、もっぱら都市間競争が喧伝され、東京が成長力を拡充し、経済、社会、文化資源の東京一極集中が起きた。東京のA Winner Takes All(一人勝ち)がはっきりし、地方都市は敗者のレッテルを貼られ、東京との格差が途轍もなく広がった。しかし、東京の「一人勝ち」もまた、地方が供給する電気、水、食料に支えられていると東京っ子のだれもが思い知らされたはずだ。東京もまったくもって「自立」していない。東京が牽引して被災地を復興するなどというのはおこがましい。まさしく地方が創生して東京も漸く救われる、という構造が浮き彫りになったのである。
教訓が生きた大船度市吉浜(4月4日)
農地は津波にやられたが高地の住宅は無事
科学技術を妄信した巨大主義に対するシューマッハーの批判とは別の視点から、しかし同じようにここでも、「自立」と「競争」を両輪としてきた近現代思想に対し、その超克が問われている。
今度の惨禍が教える教訓の一つは、地域の暮らしを豊かにするのは、「自立」ではなく連携、競争ではなく協働することにある、というではないだろうか。そこに、国の「かたち」を考えることが正しい。東北が抱えた苦難を、東北がなさなければならない復興を、そして東北が目指す創生を国民的にシェアしようという考えである。それは、いろいろな場面で議論されはじめていることでもある。復興国債を発行しよう、復興連帯税を賦課しようなどの議論がなどもそれにあたるが、ここでは創生は、都市間競争ではなく、都市間連携で実現することの重要性を提起したい。隣接する都市同士が限りある地域資源を競争して奪い合うのではなく、都市圏レベルでシェアし、協働し、使いこなすべし、という提案である。地震と津波で大きな被害を被った釜石、大船渡、陸前高田は岩手県に属している。少し南に下った気仙沼は宮城県に位置し、陸前高田との間に県境がある。釜石の一部を含めてこのあたりは仙台藩の直轄地であった。気仙地方と呼ばれて言葉も祭礼なども共通している。気仙地方は「漁網の編み方、修理の仕方などでも、南の北上川河口の石巻とはかなりちがう」(池内紀 日本経済新聞2011年4月6日夕刊)という。しかし、今度の災害救助、災害復興では県境が妨げになった、というようなことはなかっただろうか。
定住圏構想をめぐっては、宮古、釜石、大船渡のどこが中心都市になるのか都市競争があった、という話を聞いたことがある。地理的には釜石が中間に位置し有利だが、残り2市に比べて人口が小さい。そこで隣接町を吸収する合併論があるとも聞いた。「自立」の意味を考えると、さらなる合併論議には賛同しかねる。そうではなくて岩手、宮城の県境を越えて陸前都市圏を考える、ということがあってもよいのではないか。陸前都市圏として創生のいろいろな機会をシェアすることを考えるのである。自然エネルギーを柱に据える地域エネルギーネットワークを、陸前都市圏を範囲に構築する。あるいは、地域医療ネットワークや産業振興も陸前都市圏として検討するのである。
陸前地域で、人為的に線引きした行政区域を越え、歴史と風土によって形成される地域を単位とする地域創生の取り組み事例を提示できれば、21世紀の「日本の『かたち』」を考える際に、大切な示唆を与えることになるはずである。▲このページのTOPへ戻る
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