まず訳者の渡邉泰彦氏が本書を見つけ、われわれに知る機会を与えてくれたことに感謝したい。本書は「開発か保全か」という永遠の課題について、ニューヨークを舞台になされたドラマをドキュメントしたものであるが、金融マンとして、また近年まで都市開発に関わってきた訳者による達意な翻訳となっている。
本書の原題は「モーゼスと闘って:ジェイン・ジェイコブズはニューヨークのマスター・ビルダーにどのように挑み、いかにアメリカの都市を変貌させたか」となっている。ニューヨーク州・市の都市計画に深く関わったモーゼスにとって、ジェイコブズが遮るまで彼に死角はなかったのである。それらの計画は連邦政府の政策に則っていたし、ニューヨーク州と市の計画執行に携わり、両大戦間から第二次大戦後、さらに1970年代までニューヨークのマスター・ビルダーとしてモーゼスは君臨したのである。彼に対して、主婦で住民運動を指揮することにもなっフリージャーナリストのジェイコブズが果敢に挑み、両者の間で繰り広げられた30年間にわたるワシントン・スクエア・パークや高速道路などインフラ建設と近隣環境保全を巡る闘いを、著者のフリントは本書で活写する。
本誌の読者はすでにジェイコブズのことに詳しいと思う。2006年には彼女への追悼を込めて特集号があった。彼女は都市を生活の場としてとらえ、実際に生活を営んでいるものの立場から20世紀になって盛んとなる都市計画・再開発を批判した。これをジェイコブズは出発的に、さらに全米の具体的な都市の事例を踏まえて、生活者の視点から都市を語り、新たな都市思想に金字塔を立てた彼女の主著、『アメリカ大都市の死と生』(1961年)に繋げることになる。本書は、生前伝記が書かれることを拒み、自伝を残していないジェイコブズの伝記ともなっている。
|
|
一方のモーゼスはもともと公共経営のあり方に関心があり、その面でのアドバイザーとしてキャリアを積み重ねていく。その後辣腕の行政家としてニューヨークの市長が何度変わっても、都市計画を実行する地位を確保し、道路、橋、公園、プール、住宅など多くのプロジェクトを実現した。しかしモーゼスの開発手法にはかなり強引なものがあった。その咎とジェイコブズの作った流れによって退陣を余儀なくされたが、モーゼスに関し近年一定の評価の動きがある。2007年には『ロバート・モーゼスと近代都市』という回顧展が開かれ、それをテーマにした論文集も出された。今日、エリア開発や再開発の場合でも、強権的な開発手法は影をひそめ、ワークショップなどを多用するパブリック・インヴォルヴメント型の開発手法が定着しつつある。では都市インフラに関してグランドデザインを描くのは誰なのか、その構想力や職能が必要なことに替わりはないはずである。
最後に、本書にはニューヨークの歴史や文化・芸術を支えてきた多くの人びとが登場し、時代の空気を伝え興味をそそる。読んでいるうちにニューヨークに行ってみたくなる本でもあることを付け加えたい。 |