山崎 亮 著

2011/11

 
『コミュニティデザイン――人がつながるしくみをつくる』
学芸出版社(定価1,800円+税 2011.05)

 実は誰でも、本書で山崎さんたちがやっていることと同じようなことを、似たような形でやりたいなと思っているのではないかと思う。新たな公、ソーシャルキャピタルなどと難しい言葉でコミュニティの大切さを説く人たちも、最初は単純に、地域の人びとがともに楽しく過ごせる場を思い浮かべ、自分の周りにも作ってみたいな、と思っていたのではないだろうか。しかし実際はそう簡単にはいかない。周りの人がついて来てくれない、自分はいいことをしているはずなのに……、そう思った瞬間、コミュニティを面倒だけど世の中に必要なものという「べき論」にしてしまったのではないか。そう考えると、コミュニティで挫折を感じている人たちの如何に多いことか!
  山崎さんやstudio-Lの仲間たちが日本各地で興してきた活動を本書で読むと、人びとが集まると楽しい、楽しいからもっと話そう、理解し合おう、一緒に何かやろうといった、人の本能のようなものをとても巧みに引き出していると感じる。もちろんそれぞれの場を悩ませる問題は深刻だ。人口減少、商業の衰退、ダム建設中止の補償問題、高層マンション問題……どれも本当ならべき論で解決したくなるような空気が充満しかねない。でも彼らの活動では常に、「問題があるから集まってくれ」ではなく、「こんな風に集まればみんなで楽しく過ごせる」「やりたいことができる」という発想がまず先に立つ。本書に数多く掲載された写真に写る人たちの自然体で生き生きした表情、それらを見ただけでもそう感じずにはいられない。そして提案された新たなタイプのコミュニティは具現化され、問題は緩和される。


 

  どうして山崎さんたちにはそんなことが可能なのか。本書、そして自身の活動を彼は『コミュニティデザイン』と名付けたが、僕はこの「デザイン」という言葉が彼の希有な才能を最もよくあらわしていると思う。デザインには論理とセンスの両方が要る。「課題の本質を掴み、それを美しく解決する」(p.235)ことを可能にする秀逸なデザインは、人や地域への共感を伴わない、論理だけを積み重ねた「べき論」からは決して生まれない。新しいコミュニティの形を生み出す類まれなデザインセンスを彼は持ち、そしてそれを現場で磨き続ける。論理的思考しか取り柄のない学者の僕は彼を、正直少々妬みつつも、同世代のスターとして誇らしく思う。

(大阪市立大学大学院・瀬田史彦)

書影イメージ

記事内容、写真等の無断転載・無断利用は、固くお断りいたします。
Copyright (c) Webmaster of Japan Center for Area Development Research. All rights reserved.

2011年11号 目次へ戻る