<地域振興の視点>
2000/06
 
■中山間地対策をめぐる論点
編集委員・日本経済新聞 矢作  弘

 中山間地にある農家などに対する直接支払制度が今年度から始まる。夏までに市町村が基本計画――対象地域、交付金の配分方法など――を作成する。その基本計画に沿って8月末ごろまでに農業の継続や農地の維持管理などに関して集落協定か個別協定を結ぶ。秋以降、市町村が都道府県に交付申請し、実際に直接支払いが始まるのは年を越してからである。
 治山、治水、水資源の涵養、景観・レジャー保養(農村アメニティ)など中山間地の公益機能は、もっぱら農林業の外部経済として実現している。この外部経済は3つの側面をもっている。

@その便益は不特定多数によって享受されている
Aしかも便益の利用に対価を要求する価格システムを構築しにくい公共財として機能している、すなわち市場メカニズムを通じて便益を内部化できない
B市場メカニズムにさらされ農林業が荒廃すると、当然のこととしてその副次的産物である公益機能も淘汰される

 実際、戦後、農蓄林複合経営が市場経済(牛肉、木材などの輸入自由化)の中で解体し森林の荒廃が起きたが、1980年以降さらに事態は深刻になっている。いよいよ農地の耕作放棄、そして中山間地集落の崩壊が始まっている。その行き着く先は公益機能の壊滅である。

 中山間地対策は危機に瀕している公益機能をだれが、いかにして維持管理するかという問題である。
 第1の論点は、中山間地の農蓄林業がグローバル市場経済の中でそれ自体として自立可能か、もしその可能性が提示できれば公益機能もサスティナブル(維持可能)になる。しかし高齢化、定住人口の減少などの現実を直視すると、将来に対して悲観的になる。適切な政策的対応がなければ、中山間地が担っている公益機能の供給能力はますます脆弱になる。
 半面、保養や農山村景観など農村アメニティに対する国民的ニーズは高まる。その結果、公益機能に対する需要と供給の乖離はますます大きくなる。
 したがってこの需給ギャップを財政的に少しでも埋めようというのが、今度の直接支払制度である。
 では、だれに対して直接支払いするのが正当かつ適切か。それが第2の論点である。個々の農家に対する直接支払いは経済的、倫理的に評価できるだろうか。
 個別農家に直接支払いした場合、その交付金ははたして生産性の向上、少なくとも農業維持のために投資されるだろうか。そもそも交付金使途の追跡が難しい。
 所得補償の意味があると言っても、棚からぼた餅として食われてしまっては、制度の意義は半減する。国民からバラマキ農政との批判を受ける。中長期的には、脆弱な農業構造を維持し、農業の構造改革を遅らせることにならないか。

 また、価格補償制度の場合は、その所得は、たとえ下駄を履かされていても受け取る側の意識の上ではあくまでも労働の対価として発生する所得である(補償と所得がカップルになっている。見かけ上は市場が労働を評価し、それに対して払われる所得という姿になる)。ところが直接支払制度では、補償と所得のリンケージが切れてしまう。直接支払制度が「デカップリング」と呼ばれる所以だが、それははたして自立した人間として労働し、誇りをもって生きることを妨げないか。地域社会が持続可能な人間的発展をすることを支援する制度にはならないように思える。

 農家に対する直接支払い額は極力抑えるとして、それに代わる支払い先としては集落単位の営農集団が適当である。交付金の使途が農家支払いに比べてはっきりするし、なによりも協同労働に対する支払いは、参加者が「公益機能の維持管理に貢献しているのだ」という意識を育てるのに役立つ。ひいては集落が地域の再生を考える契機にもなる。

 集落営農は1980年代に一時ブームになりその後衰退し、ここに来て改めて関心が高まるという経緯をたどっている。衰退の要因としては、土地の「利用」に対し「所有」が優位に評価されたことがある。集落営農では農地の供出面積に比例して農家それぞれの労働時間が計算され、その負担時間を超える労働供出に対しては労賃が支払われる(供出面積の責任分も労働供出しない農家があることを意味している)。収入から労賃を含む諸経費を差し引いたものを供出面積で割り算し、それぞれを土地供出の対価として農家に配当する。

 ところが土地の供出(その対価は地代)に比べ労働の供出(その対価は労賃)が相対的に不利に置かれていれば、責任分以下の労働で逃げようという(すなわち耕作放棄)農家が増える。労働力の高齢化が進めばなおのことその傾向が進展する。その結果、集落営農が行き詰まる。

 土地の所有よりも労働の価値――土地を利用する行為が相対的に高く評価されなければ、集落営農は機能しない。しかしそれがなかなか難しい。なぜなら、農村社会は依然、農地の所有面積によってヒエラルキーが形成されているから、集落営農の取り決めも農地本位主義で決められることになる。

 農地の荒廃は隣接する農地の維持管理にもマイナスの影響を及ぼすし、耕作放棄地が増えれば集落全体の存続も危うくなる。そうした状況を避けるために営農集団などが限界農地を借り上げる必要が生じることも考えられる。ある意味で「公共事業」である。その際、営農集団などの介在がなければ限界農地は荒れ地になってしまうのだから、この不本意な農地の借り上げに対しては「地代をゼロにする」ということがあっても当然である。

 集落の再編は可能か。中山間地のもつ公益機能を維持管理するためには、現在ある集落の数をなんとしても死守しなければならないか。それが第3の論点である。耕作地に家がある職住一体の暮らしから、まち的な生活が可能なところまで転居し、職住近接として農地の維持管理――通勤型農業ができるだろうか。それとも、あくまで人が住み続けてのものだろうか。

(やはぎ・ひろし)


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