<地域振興の視点>
2000/10
 
■D.F.Z.in N Y
編集委員・日本経済新聞社 矢作 弘

 米国経済はバブルか、情報技術(IT)革新によるニューエコノミーか、経済学の議論は分かれているが、結果としてニューヨークは大変な不動産ブームである。物件が不足し、家賃が高騰している。マンハッタンのワン・ベッド・ルームは毎月の家賃が1,000ドルを超えるところもざら。大学新卒の給与では、一人暮らしもままならない。そこで天井からシーツをぶら下げワン・ベッド・ルームをシェアする住宅貧乏物語も聞かれる。

 しかし、80年代の不動産ブームと違っているのは、新築物件が少ないこと。古い建物の修復が圧倒的に多い。前回のバブルで煮え湯を飲まされたデベロッパーが、ニューエコノミーを信奉しながらも、心の片隅でその教義を疑っているからに違いない。

 かつてのマンハッタンは、「8番街よりウエストサイドは危ない」と言われた。確かに夜間は物騒だった。ところが最近は、再開発の波がその物騒な界隈まで押し寄せている。O・ヘンリーらの小説家が寄宿していたことがあるホテル・チェルシーのあるチェルシー地区(6番街の西、14〜23丁目)などはその一例で、食肉市場や倉庫、町工場だった建物が改修されて住宅やアートギャラリー、ブティック、高級レストランなどになっている。10番街の西、22丁目の薄汚れた煉瓦壁の低層ビルにコム・デ・ギャルソンがポストモダン風の奇抜なショップを開いたが、エプロン姿の肉屋さんや、リヤカー暮らしのホームレスらが向こう三軒両隣という場所柄。道は舗装が悪くガタガタ。そこにトレンディーな服で着飾った紳士淑女が高級車で乗り付ける、という風景である。

 実際、コム・デ・ギャルソンも、以前はクルマの修理工場だった。それが証拠に、軒先に「Body Works(車修理)」の看板を残している。もちろん外壁装飾としてわざわざ残しているのだが、その心は「だれも見向きもしなかった場所に時代の先端を発見し、そこに最新のファッションを開花させたのは私」というデザイナーの自己顕示である。

 「ジェントリフィケーション(Gentrification)」と呼ばれる現象である。都市コミュニティの再生、あるいは再活性化を意味するが、典型的にはミドルクラスのアーティストやMBA(経営学修士)のヤッピーらがそれまで疲弊していたインナーシティに移り住むことによって街が様変わりすることを指している。街並み景観もそうだが、文化的にも社会的にも、要するにコミュニティの森羅万象がミドル化することだ。当然のこととして家賃の高騰を伴うから、それまでの居住者や町工場、倉庫などは「立ち退き(Displacement)」を余儀なくされることになる。

 チェルシー地区は前述したような場所柄なので、貧困層の「立ち退き」が厄介な問題になっているという話は寡聞にして聞かなかった。しかし、ハーレムなどでは深刻な問題になってきている。

 今、125丁目が「ハーレムルネサンス」。125丁目筋のビルが改築・改装ラッシュで、カジュアルファッションのギャップや音楽関連のブロックバスター、ハンバーガーのマクドナルドなどが進出している。ニューヨークでもハーレムの建物は躯体が頑丈で配管などもしっかりしているといわれ、内装を替えるだけで素晴らしい店舗やオフィス、住宅に変わる。少し前までは「危険地帯」の烙印を押されていたが安全な買い物通りになったというので、最近は観光スポットになっている。

 今回は、「ハーレムルネサンス第2期」と呼ばれている。第1期は第一次世界大戦後の20年代。名前を聞くだけでため息の出るような名盤を残した黒人ジャズメンたちが活躍し、ワスプ(WASP)のミドルクラスの間でハーレムのクラブ詣がはやった。コットンクラブなどは黒人禁制の高級クラブとして大いに繁盛したという。文学の世界でもゾラ・ニール・ハーストンやラングストン・ヒューズらの黒人作家が頑張っていた。ハーレムの風俗を題材に黒人のソウルミュージックにつながる詩を書いたヒューズは、白人女性をパトロンとしていた時期があったが、なぜか突然、彼女と決別。きっとワスプに食わせてもらうことに対する憎悪があったに違いない。

 ハーレムルネサンス第1期の幕引きはこうして始まったのだが、第2期ハーレムルネサンスに対しても、苦々しい気持ちでこれを眺めている黒人知識層がいる。

 今度のルネサンスは文芸復興ではなく経済復興である。住宅事情の悪化からダウンタウン、ミッドタウンから家捜しにやって来る非黒人ミドルの新住民や、タイムズスクエアやビレッジにも出店しているナショナルチェーン専門店などが復興運動の主役になっている。家賃が上がる。それまでの黒人住民が「立ち退き」の憂き目にあう。多くの黒人ミュージシャンを輩出してきた125丁目のアポロ劇場の経営権も、タイムワーナーが握ったといわれる。ディズニーがキャラクターショップを出店する。ナショナル・ブラック劇場のバーバラ・ティーア博士がニューヨークタイムズに「これは文化経済戦争です」と屈辱を語り、グレートハーレム商工会議所などが反「立ち退き」の運動を起こそうとしている。

 マンハッタンの再開発ラッシュは、イーストリバーを越えてブルックリンでも「ジェントリフィケーション」を引き起こしている。しかし、サウスブルックリンでは状況は一歩進展していた。不動産ブームに便乗した家主が家賃を大幅に引き上げようとしたことに対して地元のNPO「5番街委員会(FAC)」が住民の居住権を主張する運動に立ち上がった。「3〜6番街にある36街区に暮らす住民、特に高齢者層や貧困家庭のためにアフォーダブル住宅を確保し、家賃の高騰を阻止する運動を展開する」と宣言した。

 D. F. Z.(Displacement‐Free Zone、立ち退き阻止地区)の設定である。

 90年代半ば以降、好景気に踊るニューヨークだが、所得格差の拡大も著しくなっている。ウォール街で稼いで潤うヤッピーたちをはた目に凋落する「中の下」以下の所得階層、そして貧しきものはますます貧しく。D. F. Z.は、昨今の都市再開発ブームに沸くニューヨークの「二都物語」を象徴する話題である。

(せき・みつひろ)


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