<シリーズ/地域開発の課題を提起する>
2004/11
 
■人の姿の見える地域を豊かに――人材育成こそ、最大の課題
一橋大学大学院商学研究科教授 関  満博

■「人の姿の見える地域」の重要性
  「地域」という日本語は極めて曖昧な概念であり、「東アジア地域」から「東北地域」、さらに「町内会」の範囲までもが「地域」という言葉で語られる。これらはいずれも重要だが、本稿の議論では「人の姿の見える地域」を深く意識していく。それは、高齢社会において、人々は「自分の街」と思える範囲で生きていくであろうからにほかならない。おそらく人口数万から多くても20〜30万人程度の市町村の範囲の重要性がいっそう高まるのではないか。  もう一つの「自立」は人々が自らの意思で未来を切り開くことを意味するが、その背景として経済的な「自立」が不可欠と私は考えている。当然、「経済」は人生の目的ではないが、これからの時代は「人の姿の見える地域」が「経済的に自立」できる状況を作り上げていくことを、地域は当面の最大の課題の一つとしていくべきであろう。それは「地域」に「経営」が必要なことを意味する。その場合の「戦略ポイント」は個々の「人の姿の見える地域」によって異なり、その「地域」の人々の深い洞察の結集によって初めて具体的に姿を現していくことになろう。  だが、現状の「人の姿の見える地域」である市町村の多くは、これまで自立的かつ戦略的な地域産業政策などを考えたこともない。国〜都道府県と降りてくる融資制度の窓口程度の仕事しかしたことがない。商工課、経済課と名乗っていても、地域の産業の全体像もわからず、地域の中小企業を訪問したこともないのではないか。  これからの「地域の自立」の時代に向けて、このような事情を深く反省し、地域の実情と将来を見据えた新たな戦略的な取り組みを重ねていかなくてはならない。市町村を支えるはずの都道府県においても、事情は同じであろう。全国の自前で必死の「産業政策」を推進しているほんのわずかな「先進地」に学んでいかなくてはならない。  ただし、私のささやかな経験からすると、先進事例をそのまま持ち込んでも成功しない。個々の成功は「思い」の深さと継続が背景になっている。「自立的な産業政策」を実施すると決意し、必死の学習期間に少なくとも5年は要する。それは地域に対する「思い」を深め、戦略ポイントを自覚していくための期間であろう。目に見える成果が得られるにはさらに5年ほどの月日がかかる。要は、「地域」を死ぬほど愛し続け、全人生をそのためにかけられるほどの「人材」を生み出せるかどうかが基本となろう。

■「現場」を共有することが基本
  地域の「経営」とはまことに広い範囲を対象とし、特色のある豊かな「地域」を作っていくための包括的な概念となろう。その中で、「地域産業振興戦略」は一つの重要な柱となることは先に指摘した。では、それを推進し、実行していく担い手は誰か。  全国の成功している市町村を見ると、明らかに一人、二人の命懸けの若者が力を注いでいることがわかる。当初、静観していた長老から「あの連中はなかなかやる」とのお墨付きをいただく頃には、地域は大きく変わっていく。  なお、このような場合、最初の一人、二人になる若者はどこから出てくるのか。私のささやかな経験からすると、地域の全体が見えやすい市町村の若手職員、商工会議所、商工会、農協等の経済団体の若手職員、そして、地元中小企業の若手経営者、後継者などであろう。このあたりから、一人、二人が生まれ、夜を徹して地域のことを語りあう集団ができて初めて事態が動き始める。  「地域産業振興政策」の世界の先駆者としては、東京の墨田区が知られている。この墨田区は中小企業の多い街だが、1970年代の初めに、区内中小企業が減少し始めたことを受けて、係長級の若手区職員約200人を総動員し、区内中小企業約1万社を全て訪問したことがある。その時のデータがその後の区の産業振興政策の基本になっていくのだが、それよりも重要であったのは、次の時代の区政を担う若手職員たちが「自分たちが何をしなければならないかを実感した」ところにあったとされている。  机に座って「何をしてよいかわからない」と言うのではなく、「現場」に足を運び、語り合い、力のある市民である中小企業者と共有できるものを確認していくことがなによりであろう。

■人材育成こそ、地域振興の最大のテーマ
  振り返るまでもなく、日本には「人材」以外の目立った資源はない。であるならば、「人材」を軸に据えた「地域産業振興戦略」を推進していかざるをえない。その場合の「人材」にはいくつかの範疇がある。  第1番目には、先に指摘した地域産業振興全体を牽引する「人材」である。これらは市町村の若手職員から生まれてくることが少なくないが、3年ほどで人事異動があり「思い」が途切れてしまう懸念が大きい。こうしたことが、地域の中小企業の方々との信頼関係形成の最大の障害になっている。そうした人材はしかるべき部署に相当に長期で勤務させるなどの対応が求められる。  また、こうした人材は孤独な闘いを強いられることが多いが、都道府県の側がメンターとして彼を支えていくことが求められよう。都道府県の側も、地域の先鋭的な人材と夜を徹するほどの深い関係を形成することにより、自らの志を高めていくことが求められている。このような市町村、都道府県、あるいは商工会議所の若手がまずなすべきは、地元の中小企業経営者と深い信頼関係を形成することであろう。その場合の最大のポイントは、「現場」を数多く訪れることにつきる。  人材の第2は、地域経済の主体である中小企業の経営者、後継者群であろう。近年の地域中小企業をめぐる最大の問題は、企業数が減少しているという点にある。こうした事情に対して、世論は「新規創業」を促すべきとしている。もちろん、産業社会は新たな血が入ってこないと活性化しない。そうした意味では「新規創業」は不可欠である。ぜひ、多大な努力を重ねていって欲しい。  だが、これよりもより現実的なものがある。それは現在まさに存在している中小企業をうまく承継させていくことである。先の企業数の減少の最大の理由は「後継者がいない」こととされる。できる限り、息子、娘たちに親の事業を承継させていかなくてはならない。このことに、市町村や都道府県はもっと熱心であってよいのではないか。 中小企業の経営者の子弟は、子供の頃から無限責任の怖さを痛切に理解している。それは中小企業経営者としての最も基本的な資質となろう。さらに、経営者の子弟はある意味でサラリーマンの子弟に比べ、親が作ってくれた資産という大きな優位性を持っている。その資産をベースに「第2創業」に踏み出すことを期待したい。  人材に関する第3のテーマは、中小企業の「現場」で働く若者にいかに「希望」と「勇気」を与えるかということであろう。  振り返るまでもなく、日本全国の各地には地域の産業に大きく貢献してきた工業高校、商業高校等がある。それらが現在、少子化のあおりを受けて統廃合の対象になっている。だが、こうした流れに対して、産業サイドから問題提示がされたなどは聞いたことがない。地域の中小企業の経営者のかなりの部分は地元の専門高校の卒業生である場合が多いのだが、声は上がって来ない。偏差値の都合で配分され、誰からも関心を抱かれない子供たちに「希望」と「勇気」が芽生えるであろうか。子供たちと地元産業界が接点をもち、「現場」でキチンとキャリアを高めていくことの意義をわかりやすく伝えていく必要がある。  市町村や都道府県は目先のことだけにとらわれず、次の時代の担い手の育成にも視線を向けていかなくてはならない。「人材」がいなければ、事業など成り立たないのである。

■若者に「勇気」を
  本稿は、いくつかのキーワードを掲げてきた。「人の姿の見える地域」「地域の経営」「地域産業振興戦略」「中小企業」「人材」「希望」「勇気」などであった。成熟化し、高齢社会に向かう日本にとって「人の姿の見える地域」の重要性は否応なく高まる。それはほぼ市町村の範囲となる。その「人の姿の見える地域」を豊かにしていくことが、これからの最大の課題になる。そのためには、広い意味での「地域の経営」が不可欠であり、経済的な基盤を形成していくためには「地域産業の戦略的な展開」が基本となるであろう。  その場合、いかに中小企業の経営者、後継者に「勇気」を与え、さらに次の時代の「現場」の担い手となる若者に「希望」と「勇気」を与えていくかが重要性を帯びてくる。特に、この点において「人材」こそ基本であることが理解されるであろう。地域のリーダー的な存在になる市町村、経済団体の若手職員、さらに中小企業の若手経営者、後継者の方々が、「自分の街」を良くしていくために全力をつくし、人々に「希望」と「勇気」を与えていくことが求められるのである。

(せき・みつひろ)


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