<緊急報告>
2005/10
 
■危機に瀕する真鶴町『美の条例』
大阪市立大学大学院創造都市研究科助教授・瀬田 史彦

 先進的な景観まちづくりで名高い神奈川県真鶴町が、再びマンション開発の危機に揺れている。
 『美の条例』と呼ばれる真鶴町まちづくり条例は、バブル期の急激なマンション開発に対し、農村・漁村としての真鶴の穏やかなまちなみを守る新たな方策として、3年の歳月をかけて策定作業が行われ、1993年に制定、翌年施行された。
 『美の条例』は、町の基本理念を実現するための「まちづくり計画」、都市計画法による用途地域よりも指定地域を拡大し規制も詳細化した「土地利用規制規準」、真鶴が築き守り続けてきた自然・生活環境や歴史的文化環境を保全し、かつ発展させるための「美の基準」、こうした目的や規定を徹底させるために一定規模以上の建築行為に対して町との協議や住民との話し合いを義務づける「建築行為の基準・手続き」などで構成される。
 とりわけC. アレグザンダーの「パタン・ランゲージ」を範に、真鶴町の穏やかなまちなみの魅力をまとめた「美の基準」が画期的であるといわれてきた。「美の基準」は、景観や雰囲気を守るための基準を、数値でではなく文学的な表現と素朴なイメージ図で表現している。「聖なる場所」「静かな背戸」といったキーワードとそれを説明した文章・図を元に真鶴のまちなみの魅力を定義づけ、これらをまとめた冊子『美の基準』が町内の全ての建築行為におけるデザイン・コードとなっている。大規模な建築行為に対しては、この冊子をもとに、さらに詳細な調査によって抽出される計画敷地周辺の具体的な「美の基準」を示した上で事業者と協議を重ね、真鶴の魅力を落とさず、むしろ高めるよう開発を誘導していく。
 こうした取り組みは、まちづくりの先進事例として書籍や新聞社説にもたびたび紹介され、条例制定から10年以上経った現在も、他地域からの視察が絶えない。また『美の条例』制定以降、これまで多くの開発業者がまちなみを壊さずに開発を行い、あるいは開発を断念してきた。
 しかし去年から、再び新たなマンション問題が浮上している。
 問題となっているのは、源頼朝が石橋山の合戦に敗れ安房の国へ舟で発ったと伝えられる岩海岸に面した斜面地である。この敷地は、『美の条例』の制定前にホテル建設計画として宅地開発指導要綱に基づく承認がおりていたが、その後計画は頓挫し15年近く放置されていた。しかし昨年になって、同敷地で地上5階地下3階、高さ22mの高齢者用マンションの計画が持ち上がった。敷地は都市計画法上の白地地域にあたり、建築計画は国法上の違反とはならない。しかし『美の条例』においては「沿岸景観特別地区」に指定され、その地区の規制である高さ10mに違反している。また歴史ある海岸沿いの斜面地上の建築計画は、「美の基準」にもそぐわない可能性が高い。
 事業者は『美の条例』に基づく町との協議をしないまま、建築確認を神奈川県に直接申請し、確認済証を取得したため、国法上はすぐにでも建設工事を進行できる状況にある。
 『美の条例』の遵守を求める町は、今年3月に事業者に条例遵守を求める決議案を町議会において賛成多数で可決し、上水道の供給拒否などを想定した同条例第25条「町の必要な協力を行わないことができる」前提を整えつつある。自治会をはじめとした住民の多くも、条例遵守を求めてさまざまな運動を展開している。
 これに対し事業者側は、まちづくり条例に基づく公聴会において、『美の条例』が憲法をはじめとした国・県の種々の法律に抵触していることを主張し、条例に基づく土地利用規制規準の遵守や「美の基準」についてのさらなる協議を拒み続けている。町によってつくりあげられた『美の条例』の正当性自体を問う、全面対決といえる。8月現在、事業者側は建設を中断しているが、今後の展開は予断を許さない。
 町役場によれば、『美の条例』の制定以降に行われた都市計画法等の改正や2004年の景観法の制定によって市町村に委譲された権限を最大限に利用することで、今後は同種の問題をほぼ未然に防ぐことができるようである。ただし『美の条例』制定以前に承認された後、長らく塩漬けにされている土地はまだいくつか残っており、真鶴の景観にとっては今後も予断を許さない状況が続く。
 町役場の職員やマンション建設に反対する住民は、『美の条例』が制定され先進事例として大きく取り上げられた頃から、すでに今日のような問題が生じうることをある程度予想していたようだ。ただ、事業者から「上乗せ」「横だし」といった批判は受けても、住民の総意で策定されすでに先進事例として世に名高い『美の条例』の存在自体が否定されるような展開には、まさかそこまで、という思いも隠しきれない様子である。
 こうした真鶴町の状況に、高度成長期からの中央集権が行き過ぎた硬直的な法制度・都市計画制度の弊害、あるいはその亡霊を見る思いがする。都市計画の地方分権は徐々に進められてきてはいるが、地域の景観や住民のための都市環境を保全・再生するにふさわしい適正な権限の配分が、先進事例として名高い真鶴町においてでさえ、一刻も早く求められている状況なのである。
沿岸でマンション建設が予定されている岩海岸
(中央やや左の斜面上が予定地)
(2005年8月撮影)
町内の至るところに見られるマンション建設反対の看板
(2005年8月撮影)

(せた・ふみひこ)


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